男性非モテに捧ぐ『仕事人・趣味人』のススメ

2004-08-12
 この対人コミュニケーション能力は、不平等という観点から見ると、きわめてやっかいな性質を持っています。自分がいじめられた、不当に恵まれなかったと感じると、この能力は損なわれやすい。不当に何かを奪われたという自己認識を持つと、強い自己不安を抱えたり、他人に対する攻撃性を持ってしまう。優しさとか、人当たりのよさを身につけにくいのです。だから、優しさや人当たりのよさを重視する集団からは排除されやすい。今の若者言葉を使えば、とても「イタい人」として嫌がられ、人格的に評価されなくなるわけです。
 つまり、自分が何かを不当に奪われているとか、社会からはじき出されていると思うことが、それ自体で何かをさらに失ったり、はじき出される原因になってしまう

ご隠居の静かなネット暮らし - 7日目
人の心はね、水の入った器と同じなんだよ

そして、いいことをしたり、いいものを見た時
そこに綺麗な水が一滴、入るんだ

逆に、悪いことをしたり、悪いものを見たりしたら
今度は汚い水が一滴入る

たかが一滴と思うだろ?
でもな、たかが一滴と考えて、悪いことに溺れていると
どんどん、どんどん水は汚れていってしまうんだよ

気がつくと、とりかえしのつかないくらい水が汚れて
最後には何が正しいのかも判らなくなってしまう

人の心ってのはね、そういうものなんだよ

ルサンチマンを肥大化させた果てに、あなたは全ての性愛を拒絶することになる。
人間である以上、性愛を愛することを押さえ込むのは不可能であるのにも関わらず。

http://anotherorphan.com/2006/08/post_347.html
多くの場合、「愛情への渇望」と言うのは、「自己存在に対する不安」と表裏一体をなしている。自分が何者かわからない。自分がどのような価値を持っているのかわからない。だから、他者に愛されるということにおいてのみ、自分の存在を安心できる。我々はそのような状態に陥りやすい。ニーチェ風に言うならば、これは愛の流刑地ならぬ、愛のルサンチマンだ。ルサンチマンとは、単に「ねたみ」だけを表すのではない。原義でいうならば、感情が逆転していること、すなわち、常に相対的な評価でしか、感情を作りえないことを指す。この場合、常に他者から「愛される」ことにおいてのみ、自分の存在が安心できることを、指している。だけど、そういう風にやっていると、いざすべての他者がいなくなったときに、誰が一体あなたの存在を受け入れるのか。自らの存在を受け入れるのは、結局自分自身でしかないし、世界の中心で叫ぶべきは、他者愛ではなく、自己愛であると僕は考える。

ジレンマの果てに何を求める? - 東京横浜オーケストラ
自分の価値観にブレがなくなったときこそが、ある意味で最高の幸せなのかもしれない。

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# 2006年08月07日 junkMA junkMA 弱者 “ある基準”に対する適応を追い求めるということは、それこそが利潤によってのみ支配される感覚であって、決して自らの心から沸いた行動欲とは別のものである。悩める者は、自らが欲する意識を根気強く探るべきか。

ゆえに自分に対して安心感を与えてやらねばやっていけない。
それこそが、己が心から求める欲望であるのだ。
男性非モテよ、性愛の意識を極力愛すな、それ以外に己が最も欲する意識を愛するべきなのだ。

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/naozane/20060623%23p3
# 2006年06月26日 junkMA junkMA 恋愛 1.やはり女性主導 2.男性がすべきことは、求めることではなく、求められることを引き出すこと 3.Masao_hate「なぜ男→女が主流なのか」 4.愛せど愛されない非モテの行く先はいずこ 5.↑クジャク……!(笑)

『恋心とは“恋愛は女性主導”という定義に基づいた女性特権であり、男が恋焦がれる意味なんてそうそうありっこない』ということを主張していきたい。理由は説明できない、けど、そうであると主張したい。
良く分からないけど好きって感情、あれを『その通り』と言いたい。理由は説明できない、けど、そうであると主張したい。
ゆえに、男はただただ自分の望む意識の道を邁進すればいい。女性なんて、勝手に振り向くだけで、こっちが振り向かせられるもんじゃない。選べない。理由は説明できない、けど、そうであると主張したい。