いじめる者=ネットイナゴ

いじめとは、いじめる者がいじめられる者に関心を抱いていたら起こらない。いじめられる者がどんな気分であるか、それに対して感情移入できたらこんなおぞましいことはやらない。自分が見下されて、ぶん殴られて、暴言を吐かれ、醜態を晒され、なんてことをイメージできたらまずやれない。


つまり、逆にいじめる者がいじめられる者に関心を抱いていなかったら起こる。安全圏内に居て自分が見下されて、ぶん殴られて、暴言を吐かれ、醜態を晒され、なんてことをイメージできないからいじめる。「こいつなんて」という気持ちであるからこそいじめはできる。いじめる者は、いじめられる者に対して大きな自信に溢れている。「絶対にコイツは逆らえないし、コイツをどうしたところで、回りが止められる力も無い」という思惑もあるだろう。いじめられる者が外部の力も含めて、大変に無力であることを熟知してるのだろう。別にコイツと仲良くしていてもいなくても、自分の立場は変わらない、弱者として、下っ端として、手足代わりに利用できるだろう、とも思ってるだろう。


これは、コメント欄でコメントスクラムをやったり、コメントの名無しだからって個別に問われることはないだろうという甘さだったり、こんなやつが叩かれたって俺には無関係だしとか言ってたり、反論も出来ないくせに周りが止めるなんてアホくさいと強気に出ている態度だったり、そういうネットイナゴとなんら変わりが無いわけだ。