自身の良からぬ感覚を強制的に抑えこむ方法

ちょっと昔話をしよう。

読んだ人に知って欲しいのは、友達は大事ってことと、僕みたいな隠れビョーキ野郎みつけたら優しくしてあげてってことです。どっかにいるからね実際。

  • この増田のケースみたいに『瞬間の行動を行っているときの自己』を『事後にそれをおかしいと感じる自己』が他者として冷静に判断できる、というケースは“ありえる”。
    • ただし、実際問題として『社会で問題なく行動するためには、まず表面は円滑であるかのように演出(物事を処理)しなければならない』ため、気分を害してしまっている人に『分かってください、こいつビョーキ“かもしれない”んです』なんていう風に許しを請おうとするのはすごく他力本願な扱いを受けるため、社会的に殺してくれ、と言っているようなものなのは確か。
    • 他人からしてみれば『コイツは信用のプロトコルに従っていない』という認識が『そいつはそういう意識の持ち主だからしょうがない』という認識よりも優先順位として上になる*1わけだし。
  • もちろん、俺だって「自分のあげた色紙を破っている」と“知ったら”「なんじゃそりゃ」と言うと思う。
  • こういうケースの人は、『瞬間の行動を行っているときの自己』を『事後にそれをおかしいと感じる自己』が他者として冷静に判断できるため、逆にそれを自己の問題として処理することが難しい(だから、似たようなパターンを“瞬間時”に繰り返してしまう)。
    • じゃあどうしろ、と言われても今のところ自分が知っているのは『トラウマレベルの強制的な意識*2を埋め込む埋め込まれる』以外はよく分からない。自分で絶対的な否定意識を限界まで高める方法って、他に何かあるかな?

*1:真偽判別がしにくいため

*2:恐怖が一番効く