でも気にする。
1.「コレを出来るようにしたい!」という強い欲望 2.その欲望を達成させるために通過しなければならないプロセスを人並みに考察することのできる頭脳 この2つは、鶏と卵のような関係性を持っていると考えている。つまり、『プロセスを発想できないゆえ…
それが事前に分かる人こそ、予測能力の有る、“頭のいい人”のひとつだと思う。
「問題解決の方法の要は、承認されるかされないか、という二分法でしかないんじゃないのかなぁ……」 と、上司に対してはうまい相槌を返すことがひとつの適応である、ということを考えながらぼんやり思った。
お酒とか美味いものとかに詳しければ、もうちょい普通に生きられそうなのにね。
凹「私的制裁って事でボコられて、他の暴力が控えているって脅されただけで、警察に突き出されなくてよかったですね」 凸「現実ってそんなもんよ、弱みを見せたら漬け込まれるだけ、抱えてそのままでいるのがいちばんまともな判断よ」
仲間見つかるか見つからんかという話であるだけで、良し悪しなんて、蛇足に過ぎない。
『好き』と『嫌い』と『嫌いじゃない』の三つに分かれる。
どうでもいいことなんですが、『どうでもいい』という書き出しをしている、もしくは締めに書いている文章に対して、『どうでもよくない』という印象を覚えてしまう自分の感覚に、なにやらやりにくさを感じてしまう今日この頃です。どうでもいいけどさ。
「見下しはよくない!」という見下し。
睡眠以外に何も欲しくなくなる。 ある意味で、幸せ。
高校時代、俺はオタク仲間だった人たちから嫌がらせを受けていた。ネットのゲーム内で、俺の名前を勝手に使って「キモイ」とか「バカ」とか、なんかそんな言葉をたくさん書かれていた。時には実況しながら陰口が延々と書かれているときもあった。それに気が…
ネット上では凶暴面→リアルではいい人→評価アップ、という戦略は普通に流通していた覚えが。
ネタそのものが楽しいんじゃなくて、その空気に乗っていることが楽しい(という風に見える)、っていうのが、俺の考える「けまらしい」ということなのかな。
地雷を踏んだら(コミュニティと)さようなら。
その発言を承認してくれる人と、してくれない人が混在していたときに、対応が難しくなるケースがあるため。
無意味な時間を過ごすこと自体は、嫌がるほどのことじゃない。 ただ、それが何らかの形で残るのが、なんとなく好きじゃない。
結果は表面上の評価によって発生する要素なので、結局やっていない人には“そういう人”という評価が下る。 そのため、このジレンマに関してはなかなか理解してもらえる機会がないのが現状。
【はてなブックマーク - ?に関するjunkMAのブックマーク】 ちょっと気になったのでブクマしてみた。
料理が出来ることはいいことだと思うけど、実際にするのは苦手でめんどくさかったりする。知識もそんなにない。 一刻も早く、逃げ出さなければ。
その一言で救われる人がいる。 自意識って、そういうものです。 追記:さらに嵌り込む人もいる。自意識って、そういうものです。
何とでも解釈できる話題においては、それに対してどのように行動したかという差異が、各々の内側において個別に評価されているよね。その評価結果は、“流れ”になって出ることが大半なので、あまり具体的に論じられることは無いんだけども……(対個人別として…
ということを感じる出来事が、Twitterやあかねでよく起きる。
id:vooreyさんところをブクマするときに、無題なのに勝手に題名をつけたりしてます。 今日、唐突に、そろそろ名指しでdisられそうな予感がしました。
怖い。 [クリリンのことかー!]
『真の――』話じゃないけども、最近、物事の見極めには『余分な要素を持っているかどうか』で判断していることが多々ある。
その発言内容が『搾取される』または『他の対象を搾取しかねない』から。 小言を続けてぼそぼそ喋る方が、外部から余計なノイズがあまり混じらない、と考えている。
それが答えであるような、でもこちらも答えであるような、どちらにしても譲れない感覚ではあるし、でも、いわゆる一般倫理とか、空気読んだ結果とか、洗脳大戦とか、そういう部分を吟味していくとこれ流されそうだよな、でも、その感覚はやはり自身の中にも…
めんどくさい。